海外クラシックギター製作家リスト

M-R

Manuel Santos マヌエル・サントス (スペイン)

Maestro
Concierto

マヌエル・サントスのギターは、アントニオ・ピカドのギター工房で製作される。ピカドはスペインのバダホスで1945年に生まれた。

18歳の時にバルセロナで漆喰職人として働き始め、たまたまタウルスと呼ばれた当時有名な中堅のギター工房に出かけ、ギター製作に興味を抱き、働くことになった。1968年からはタウルス・ギター工房の職人として働いていたが、ギター工房は1982年に閉鎖されてしまった。その後、古い同僚とギター工房を開き現在に至っている。

ピカドが製作するギターは完全な手工ギターではない。機械に頼る工程部分もかなりあり、塗装はニスを主にしている。準手工ギターであるが、手工ギターとなんら変わりはなく、素晴らしい出来映えである。

Mariano Tezanos マリアーノ・テサーノス (スペイン)

Maestro
Concierto

初代のマリアーノ・テサーノス(1919-1982)は40歳の時におじさんであり、 師匠、友人でもあるマルセロ・バルべロと一緒に仕事を始め、後日ラミレス工房で働くようになる。 セゴビアが使用したギター、1964年作のホセ・ラミレスに彼の頭文字MTがスタンプされていた事で有名になった。

二代目のマリアーノ・テサーノス(1951-)は1963年に小学校を卒業すると同時にラミレスギター工房に見習いとして働き ギターの技術を覚えていった。イニシャルはMTC。1984年には自分の工房を開いた。 テオドーロ・ペレス(1952-)は14歳のときにラミレス工房に入り、ギター製作を習い1991年まで働いた。

1971年には一人前の製作家として、ラミレスIII世に認められ、GPMのマーク使用を許された。その間、セゴビア、イエペスなど有名ギター演奏家と逢い、よい経験をつんだ。 1991年、テサーノスとペレスは共同でギター工房を開き、2000年には新しいギター工房に移った。

今日なお高い名声と信頼性を誇る銘器、テサーノス・ペレスはこの工房から送り出された。整理整頓が行き届き二人のギター製作に向かう真摯な姿が映し出されている。スぺイン、ラミレスの伝統を受け継ぎ、本物のよいギターを目指すスペインの代表的な製作家である。

現在、テサーノスとペレスは工房を分かち、テサーノスは甥と、ペレスは息子とともに独立して製作を行なっている。 どっしりした安定感、重量感のある音、スペインの伝統的な音を乗り越えた現代的な音と言えるだろう。

また、比較的落ち着きを感じさせるペレスの楽器に比べ、テサーノスの作品はより明瞭で柔らかく、なおかつ芯のある音を持っている。

Marcelino Lopez マルセリーノ・ロペス (スペイン)

1932年マドリードで生まれたロペスは、14歳のときに家具職人として働き始め、ギターをフランシスコ・タルレガの高弟、ダニエル・フォルテイアについて学び、コンサートにも出演するほどの腕前になった。

木工職人としてギター製作に興味を持つのは自然の成り行きであった。1949年にはプロのギター製作家となり、自分が手にしたサントス・エルナンデスのギターを手本にして製作がはじまったのである。古楽器を好み、数々の銘器も復元している。

1972年から1974年にかけてマドリードの名製作家、アグアドに依頼されてギターを製作したこともある。他のギター製作家とあまり交流しないロペスは、ギターのベートーベンと呼ばれてもいる。貴族趣味的な古楽器のコレクションが飾られている自宅と工房が言わしめているのかもしれない。

選りすぐった材料で、長い時間をかけ、芸術家の誇りをもって製作されるロペスのギターには、手づくりのよさが芸術作品として感じられるのである。

Marcelo Barbero Hijo マルセロ・バルベロ・イーホ (スペイン)

1943年、ギター製作家 マルセロ・バルベロを父としてマドリードに生まれた。1956年13歳の時、父が急逝した。父の仕事を受け継ぐため、父がギター製作の修行をしたことのあるホセ・ラミレスのギター工房に弟子入りをした。17歳の時には、もう一人前にギターを製作できるまでの腕前になった。 この頃、ホセ・ラミレスIII世によって作られたギターがアンドレス・セゴビアによって試奏されていたのでバルベロはセゴビアにギターを届け、演奏を聞く良きチャンスをもった。

1960年代の初め、マドリードの中心部にある古い街並みにギター工房を開いていた、父を師と仰ぐアルカンヘル・フェルナンデスの工房に入った。狭い仕事場のコーナーを借りて一緒に製作するようになり現在に至っている。

マルセロ・バルベロ・イーホのギターは、スペインの伝統技術を受け継ぎながら、1つ1つ丁寧に心をこめて製作しているのが音になって現われている。芸術的な香りの高い希少価値のある作品である。

Michael Gee マイケル・ジー (イギリス)

1958年に英国で生まれたマイケル・ジーは1974年から1977年の3年間、ロンドンでギター製作の勉強をし、1977年にギター工房を開いた。

1980年にはギルドホール大学に招かれ、1週間に1度づつ木工講座で講師を務め、学生を指導した。その講義は8年におよび、当時の若いギター製作家は今では立派な英国、ヨーロッパのギター製作家となり活躍している。

マイケル・ジーのギターは独特のデザインで、全て手で作られる。90年代に入ると、ギター製作家として数々の賞を受けて注目され、世界に送られるようになった。

デービッド・ラッセル、ロバート・ブライトモアー、サイモン・デニガンなど多くのギタリストが使用するようになった。明るい、暖かみのある音色が魅力で、世界で愛用されている。

Miguel Cordoba ミゲール・コルドバ (スペイン)

マドリッドを代表する製作家の一人、マリアーノ・テサーノスの工房でマリアーノの甥のセルヒオ・ルイス・テサーノス(1978~)によって製作されるギターがミゲ-ル・コルドバである。 かつてこのギターは工房を共にしたグレゴリオ・ペレスの息子セルヒオ・ペレス・マルコス(1980~)との合作であった。 祖父はかつてのラミレス工房を代表する職人として、あのセゴビアの愛用したMTマークのラミレスギターを製作したマリアーノ・テサーノス(1919-1982)その人であり、セルヒオはその血を引いたまさにサラブレッドである。 表板にはドイツ松とレッドセダーがあり、裏・側板にはアフリカンローズウッドが使用される。木工やセラック塗装などの仕上げ、明るく粘りのある音は既に立派な一流製作家のものであり、その良心的な価格は非常にお値打ちであると言える。 スペインの将来を担う楽しみの多い製作家である。

Miguel Malo ミゲール・マーロ (スペイン)

1943年マドリード生まれ、1959年16歳の時に、ホセ・ラミレスの工房に弟子入りした。工房では著名なパウリーノ・ベルナベ、先代のマリアーノ・テサーノスなどに教えを受けた。彼の真剣な仕事ぶりで、上達が早く一年半後には一人でギターを完成することができるようになった。

1962年の19歳の時には、師匠のラミレスから正式にギター製作家として認定された。このような若さで一人前の製作家として認められたことに大きな誇りを持っていた。

それから34年間、ホセ・ラミレスの工房で働き、1993年に工房縮小のため、ホセ・ラミレスを去らねばならなかった。同じ時に同僚のマリアーノ・テサーノス、テオドーロ・ペレスなどもラミレスを去った。ラミレスで製作していた頃は、MMのマークがスタンプされていた。

その後、自分の工房を開きギター製作に打ち込んでいる。ラミレスとは異なった特徴を持つギター製作を絶えず研究しているので、期待している。一流の製作家と同じ立場で製作しているが、自分に満足せず価格は割安で販売され値打ちなギターとなっている。

Miguel Santos ミゲール・サントス (スペイン)

FA-15
FA-18
FA-20
FA-30

ミゲール・サントスはスペイン、バレンシアにあるアマリオ・ブルゲットの工房で製作されるブランドである。1951年、バレンシア近郊の小さな村で生まれたブルゲットは、ギターつくりに興味を持ち、バレンシアに点在する小さなギター工場をまわりながらギター製作を勉強していった。

ブルゲットの願いは高品質のギターを安い価額で製作することだった。1994年、3人で小さいギター工房を開いた。手工製作家が作るギターと同じような高級ギターが順次製作されるようになった。バレンシアで高品質のギターメーカーとして知られる存在である。

Paul Fischer ポール・フィッシャー (イギリス)

Conservatoire

1941年8月20日、英国生まれ、1956年ハープシコードのメーカーに徒弟として住み込み、その後ギター、リュート製作の勉強に励んだ。

2000年に亡くなったデービッド・ホセ・ルビオの工房に弟子入り、ギター製作を習うとともに、1971年にはルビオが始めたハープシコードの製作にも携わり、ルビオの仕事の手助けとなった。1974年には独立してギター工房を持った。

ポール・フィッシャーの作品は見た目にも美しい。研究心も旺盛である。コンセルバトワと呼ばれるモデルの表板に貼る力木の構造は独特のものである。音に成果が見られ、好むプレーヤーも多い。英国を代表するギターの製作家として、講習会を開き後進の指導にもあたっている。

Paulino Bernabe パウリーノ・ベルナベ (スペイン)

1932年マドリード生まれ、ギター演奏をタルレガの弟子であったダニエル・フォルテアに学んだ。この頃からギター製作に興味をもち、1954年ギター界の名門ホセ・ラミレスの工房に入り製作技術を習得した。つくられたPBマークのギターはセゴビアが愛用し、有名となった。

1969年に独立をして、マドリードにギター工房を開いた。ホセ・ラミレスによって画期的に改良されたギターはベルナベによって受け継がれ、素晴らしいギターがこの工房から誕生していた。

より以上によく鳴る高い品質を求めたベルナベは、力木の構造をいろいろ変えたり、材料を変えたりして研究したが、独立直後に製作されたギターを越える良く鳴るギターの製作は難しかった。研究はその後も続けられ、現在の素晴らしいギターとなった。

1973年に製作された10弦ギターは、ナルシソ・イエペスが愛用し、1974年にはミュンヘンで開かれた国際手工芸展示会では、金賞を獲得した。1980年代の始めに、息子が父のもとでギター修行を始め、マドリードに広いギター工房が建てられた。親子で最高級のギター製作をめざした。

【追加】 なお、父・パウリーノ・ベルナベは2007年5月10日に亡くなり、現在は息子のパウリーノ・ベルナベ・Jr.が製作を行なっている。

澄んだ透明な芯のある音でプレーヤーに人気を博している。スペインの代表的な製作家の一人である。

Rene Baaslag レネ・バースラグ (スペイン)

1948年、オランダで生まれた。14歳の時からギターを弾き始め、オランダ、デルフトの学校では機械、エンジニアリングを専攻しながら、ギターの練習に余念がなかった。

1976年ごろ、フラメンコギターを勉強するために、スペインに移り住んだ。この頃にギター製作家のアントニオ・マリンと友達になりギター製作を知り、興味をもつようになった。フランスではアントニオ・マリンとともに、かの著名な製作家ロベール・ブーシェ宅で一緒にギターを製作する栄誉を担い、素晴らしい経験をした。それ以来、ギター製作を職業にする決心をし、グラナダにギター工房を開いた。

アントニオ・マリンとロベール・ブーシェの流れを汲むギターで、伝統的なスペインギター製作技術を超えたモダンな香りをバースラグのギターに感じる。ギター製作の講義をヒースブルグ、カリフォルニア、サラマンカで行い、数々のギター製作に関する論文は、『アメリカのギター製作』誌にも掲載されている。

Robert Ruck ロバート・ラック (アメリカ)

1945年8月21日アメリカ、ミルウォーキー生まれ、少年時代をフロリダで過ごし、大学では芸術、音楽を専攻した。1963年にはギターを弾くことを習い、そのころ出会ったジョージ・ショーがギターを作っており、道具の使い方を教えてもらいながら木工技術の指導を受けた。1966年には本格的な職業としてギター製作が始まった。

キューバのギタリストで1965年作のホセ・ラミレスを使用していたフアン・メルカンダルにギター演奏を習っていた。1970年、ラックが製作したギターにメルカンダルがほれ込み、コンサートで使用するようになってからラックギターに対する評価が高くなった。

1972年になると、同じキューバのギタリスト、マヌエル・バルエコがコンサート、レコーデイングで使用するようになり、ますます評価が上がったのである。エリオット・フィスク、ぺぺ・ロメロ、レオ・ブローウエル、シャロン・イスビンなど、多くのギタリストが愛用してきた。バルエコの意見を取り入れてデザインされたバルエコモデル、ぺぺ・ロメロがデザインして製作されたシープレス、ローズウッドのコンビネーションによる美しいぺぺ・ロメロモデルなどがある。

よい音を求める研究熱心さは知られているが、ユニークなデザインのギターがある。ネック近くのボディ側板に丸穴をあけ、音の抜けをよくしたのである。ギター製作家のケニー・ヒルもこのデザインを採用している。表板にレッド・セダ-採用した音は重厚で、豊かな音量で伸びがある。ステージで威力を発揮し、艶のある音で鳴り響いてくれる。スペインの伝統を受け継ぐ代表的なアメリカの製作家である。

Ruben Moises Lopez ルーベン・モイゼス・ロペス (スペイン)

有名な製作家でありクラシックギターについての著作物も多いスペインの大家、マルセリーノ・ロペスの息子として生まれたルーベン・モイゼス・ロペスは、幼少時から父の工房で道具や材料に親しみながら、自然とギター製作を習得していったという。

伝統を忠実に継承して製作される彼のギターは、手に入れやすい価格でありながらコンサート・クオリティを持ったギターとして高い注目を集めている。